Lesson 79. 殉教という罠
人生において、私たちは誰かを救おうとして、自ら犠牲になろうとするときがあります。これは非常に大きな問題にほかなりません。実際私も、悲惨な病気に苦しむクライアントの中に、そのようなケースを発見したことがあるのです。
このパターンの発端となるのは、私たちの家族です。私たちは家族の一員、あるいは家族全体を救いたい一心で、自分を犠牲にしたり受難を抱え込むことになります。そしてこのせいで幼少期の病気やけが、家族との離別、性的虐待、身体的虐待などを招いてしまうのです。
10代の頃、私はふたつの大きな要因から神学校へ入学しました。その要因のうち、ひとつがまさにこの「自己犠牲」だったのです。私は家族を救うために自分を犠牲にしました。そしてそういうケースの例に洩れず、私も意識上の願望(「人びとを助けたい」)を唯一の入学動機と思い込むことで、この事実を封印してしまったのです。
私たちは気づきにより、「犠牲や殉教は不必要なものだ」という事実を見きわめられるようになります。犠牲を通じて達成されるものは、恩恵によって達成できるものばかりなのです。犠牲や殉教を強いられる分野において、私たちは時間や努力、お金だけでなく、自分自身をも無駄遣いすることになってしまいます。犠牲と殉教は、成功とはまったく相容れないものなのです。
今日は、次のことを自分自身に問いかけてみてください。あなたは誰か(または何か)のために自分を犠牲にしてはいませんか?その試みはうまくいっていますか?誰かを助けたいなら、もっと簡単なやり方があるのではないでしょうか?―あなたは、この瞬間に自分の直観が得た気づきを活用することができます。あるいは、心が穏やかなときに、このことについてじっくり考えることもできるのです。
犠牲と殉教は非常に一般的なものです。私たちの多くが何らかの形で、この問題を抱えていると言っていいでしょう。この 問題を癒すことで、不要な努力のほとんどが省けます。この問題を正せば、成功が導かれるのです。さて、あなたはどうすることを選びますか?
ビジョン心理学創始者 チャック・スペザーノ博士