屈託のなさ/ビジョン心理学チャック・スペザーノ博士癒しの原則

屈託のなさ

屈託のなさ(ケアフリー)とは、用心深さ(ケアフル)と不注意(ケアレス)という2 つの罠の間の微妙な境界線上を生きることです。何も心配する必要がなく、役割、犠牲、重荷(これらは決して成功せず、私たちが受け取ることや前に進むことを阻みます)を放棄することです。

用心深いと、処方せんに則って生きているようなもので、幸せになってもいいはずなのに人生から隠れてしまいます。また用心深いというのは、役割を背負い込むという意味であり、これは両親がよい親ではなかったと判断していることが原因です。

両親がどのように子育てをすべきだったのかを見せつけるために、私たちは過剰に働きます。さらには、神様が世界を救わなかったという批判がパターンとして私たちの底流にあるのです。ならば神様にいかにして世界を救うべきかを示すために自分たちが一生懸命働くというわけです。

これは私たちのマインドの最も深い層にある神様との競争を部分的に表しています。心の奥深くで私たちは神を負かしたいと思い、自分たちこそが神の座にふさわしいと主張しているのです。

不注意は他の人や神に対する復聾の行為です。不注意は、多くの場合は抑圧されていてわかりにくいかもしれませんが、誰かに対する感情的な脅迫や非難のため、あるいは生まれてきた目的を阻むために選択した行為であり態度です。

用心深さが犠牲や重荷につながる自己概念から生じるように、不注意は痛みにつながる自己概念から生じます。

犠牲とは不注意を補うことにより痛みを防ごうとすることですが、しばしば痛みを引き起こしてしまいます。なぜなら、犠牲は重さと死んだような感覚をもたらすからです。用心深さは不注意に対する補償行為であり、自動的にこの相反するエネルギーの対立を生み出します。

ケアフリーとは、自らの価値と神の子としての自分の本質を認めているということです。富豪である天の父から受け継いだ生まれつきの権利を知っているので、私たちには平和、農かさ、そして嘉びの権利があるのだとわかるのです。

屈託のないエネルギーは世界に笑いをもたらし、疲れ切った人たちの重荷を軽くし、世界を美しい色に描きます。若さをもたらし、人生の重荷をほどいてくれるのです。何も心配がないケアフリーの状態とは、結局のところ、人生や神、そして自分自身への信頼の行為なのです。

エクササイズ

今日は、ケアフリーでいることにコミットしてください。

不注意や用心深さの結果として何か他の課題が出て きたら、ただそれに気づいてください。

こうした感情が 出て来た時には、ただケアフリーでいることにもう一度 コミットしてください。

ビジョン心理学創始者 チャック・スペザーノ博士

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