清らかさ
清らかさは最も大きな癒しの原則の一つです。自己攻撃を止め、成功、喜び、幸せな人間関係を与え、豊かさを築きます。
単純な間違いからうち建ててしまった罪悪感の記念碑を解体する手助けをします。私たちは皆間違いを犯すと、罪悪感を持ちますが、罪悪感は真実ではありません。それはエゴが自分を強めるために作る手段のひとつです。
清らかさはレッスンをすべて学び、間違いをすべて訂正します。反対に罪悪感は間違いを強化し、罪悪感を償おうという無益な試みからさらに問題を起こすというパターンを繰り返すようになります。罪悪感は必ず自分を罰するのですが、これでは罪悪感を増すばかりです。
私たちは純粋無垢な存在として創造されました。創造主が清らかさそのものですから、清らかさが私たちの真実にして最も深い本質なのです。清らかさは隷属や犠牲から 人々を自由にし、親密感や対等をもたらし、競争や腐敗を終わらせます。
世界は今、罪悪感とその影響がおびただしい状況ですが、許し、自分への許し、あるいは生まれた時と同様に今でも純粋無垢なのだと思い至ることを通して、私たちは自らの清らかさを思い出すことができます。しかし目を覚まさずにいると、神がどのように私たちを創造したかについて誤解したままになってしまいます。
自らの清らかさを認識すればするほど、平和、無害、愛、そして 豊かさという点で私たちは進化します。自分たちが無垢なのだと感じられずに、どうして平和があり得るでしょうか。
罪悪感は内面に存在する陰険な葛藤であり、私たちを食い尽くします。それは自己攻撃を生み出し、浸り込みや癇癪という形となって表れます。
罪悪感を補うために大半の人たちは善良で、りっぱな、優しい人の役割を演じます。 役割は私たちに受け取ることをさせないので、死んだよう な感じをもたらします。‘‘いい人”の役割の下には悪い、 邪悪な、ひどい自己概念があります。実はこの“悪い” “邪悪な”あるいは“シャドー"といった自己概念もまた 補償であり、その下には、清らかさや本当のよさが存在しているのです。
清らかさが生み出すパワーや真実、愛に圧倒され、私たちはそれを怖れます。しかし、私たちの清ら かさは世界を純粋無垢として見ています。清らかさは許しさえ不必要にする理解や慈愛をもたらし、他の人たちを罪 悪感から自由にします。
自分が無垢だと感じると、他の人 が間違いを犯した時にその人を罰する必要を感じません。 彼らが私たちの援助を必要としているのだと知っているだけです。
エクササイズ
今日五、何について嫌な気持ちでいるのかを調べてみましょう。
そして自分自身に尋ねてください。罪悪感を持ち続けている目的は何だろうか。それはどんな口実を与えているのだろうか。罪悪感を持ち続けると、ど んな怖れに直面しなくてもすむのだろうか。
この罪悪感を手放し、あなたの人生とまわりの人たちのために 清らかさを選択してください。
他の人を批判し、罰したいと思うと、あなたが彼らに望んでいる罰からあなたも逃れることができません。同じように、あなたが 他の人に差し出した清らかさ、許し、援助をあなたも 楽しむことができるのです。
ビジョン心理学創始者 チャック・スペザーノ博士