犠牲を癒す/ビジョン心理学チャック・スペザーノ博士癒しの原則

犠牲を癒す

 

犠牲は心理学的な間違いであり、人類の大いなる罠の一つになっています。

キリストの犠牲は、犠牲の罠を終わらせるためのものでしたが、エゴは絶えず犠牲を勧めます。犠牲は自分自身を与えることなしに何かをしようとする試みです。ですから魅力的ではなく、死んだような感じを生み出します。

犠牲は隠れた競争を含んでいます。次のステップや親密感への怖れを隠しているのです。後でニーズが満たされるのなら、今は進んで負けておこうと思うのが犠牲です。犠牲は私たちを安全に保とうとする防衛の一つですが、結局は私たちを安全から遠ざけてしまいます。

犠牲は対等を止め、親密感と成功を妨げます。たとえば私たちを優位に立たせ、他の人たちよりもっと自立させ、彼らを背負わなければならないようにします。あるいは私たちを下におき、相手に依存させ、この関係を続けるには価値のある人間でいられるように犠牲にならなければならない、と感じさせます。

私たちは“自己”について不十分と考えています。ですからこの‘‘自己’’を犠牲にして、私たちよりも優れているように見える誰かの性質と自分を同一視したり、利用したり、さらにはそれに便乗できればと考えます。

これは相手との癒着につながり、自らの魅力を低めます。そして私たちは境界線を混同し、犠牲に対しで憤慨するようになります。

犠牲は与えるばかりで、受け取りません。そして燃え尽きにつながります。

犠牲は癒されきっていない喪失やトラウマの後に背負い込んでしまう、主要な役割のひとつです。 それはパターンとなって、死ぬまで私たちに影響を与え続けます。

犠牲は、家族に問題が起きた時に家族を助けようとして使う家族の役割の一つです。この役割をしていると、 家族の面倒を見るために自分自身を殉教者にしてしまいます。家族を救えなかったという失敗感とそれに伴う痛みを、 自分の生まれてきた目的を生きない口実として使います。もちろんこれは抑圧され、痛みや恨みの下に隠されます。

役割は決してうまくいきません。その結果、うまくいかないことをさらに役割で解決しようとし、次なる失敗を招きます。こうして結局はさらなる問題、失敗、そして罪悪感を家族にもたらすことになるのです。

ちょっと考えてみてください。もしも子供たちがよりよい人生を送れるように願って、あなたが愛から犠牲をすると、子供たちもあなたへの愛から同じように犠牲の人生を生きるかもしれません。あるいは、それとは反対に、犠牲の隠れた側面を行動に表し、自己中心の人生を生きるかもしれません。

犠牲のもうひとつの要素は、犠牲を生きていると私たちは受け取らないので、密かに息抜きのために浸り込みの対象を求めるというものです。これはさらなる罪悪感と無価値感をもたらすだけで、結局はそれを埋め合わせるためにもっと犠牲をしてツケを払おうとします。そして罪悪感一犠牲一燃え尽き―浸り込みという悪循環を招きます。

エクササイズ

 

今日は、自分がしている犠牲に気づき、それを真に与え、受け取ることに変容させるとコミットしてください。

犠牲になっている分野で、あなたは真に与えると選択することができます。

あなたの気づきと選択が、犠牲を分かちあいと癒しに変えることができるのです。

ビジョン心理学創始者 チャック・スペザーノ博士

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