祈り/ビジョン心理学チャック・スペザーノ博士癒しの原則

 祈り

 

祈りとは、愛し、敬い、耳を傾けるために私たちのマインドを神につなげることです。

私たちの多くは何か頼みごとがあると祈りますが、この場合の頼みごととは、私たちのマインドがかなえることもできれば、拒否することもできるのです。つまり対立する願望を私たちはたくさん持っているので、それで身動きできず、祈ったものを受け取ることができません。

神は私たちが心の奥深く捧げている祈りを聞いて、それが私たちを傷つけるものでなければ、それに応えます。とはいえ、私たちの多くがいまだに有害なことを選び続けています。

ですから問題がある時、その問題の症状が取り除かれるよう頼むより、問題へとつながっている怖れを取り除いてもらうよう祈る方が役に立ちます。

癒されないと、怖れという本当の課題が別の症状になって現れる可能性があるからです。

多くの人たちが、神様は祈りに耳を貸してくれないと言います。

もしそれが本当であれば、神様はその免許を失うことになります。

実際には、神様に耳を傾けていないのは私たちの方です。お気に入りのちょっとしたことや浸り込みをやめるよう言われるのではないか、あるいはしたくないことやできないことをするように言われるのではないかと怖れているのです。

私たちが子供のお気に入りのおもちゃを取り上げたりしないように、神様が私たちの大好きなおもちゃを取り上げるはずもありません。

神様はただ、私たちを決して幸せにはしてくれないものに私たちが執着していることで、傷ついてほしくないと思っているだけです。

私たちの怖れという点では、神様は私たちに与えられたいかなる仕事も完了できるように恩恵を与えてくれています。

私たちは、天から離れてしまったことを神様のせいにして、これまでずっと放蕩息子でいたのです。私たちは青年期にありがちな心理で神を見てきました。

もしも神がまったき愛と慈悲以外のものであれば、神は神の免許をなくすはずです。

それなのに私たちは勝手にストライキを決め込み、自分から天を離れ、一体感を失ってしまったのを神様のせいにしたのです。少なくとも一体感を失ったと思い込んだのも神のせいだと言ってきたのです。

こうして自分たちがした過失や誤った選択を神のせいにしながら、私たちはマインドの最も深い部分で放蕩息子のドラマを繰り返しているのです。

祈りは私たちの源にもう一度つながる方法であり、何が重要であるかに注意を向け、それを整理し、恩恵と愛が戻ってきた時にそれらを受け取る方法です。

祈りは物事を正しいものの見方に配置し直し、 私たちのために常に存在している愛を感じさせてくれるものです。

エクササイズ

 

今日は神様の家に電話するのにいい日です。

特別な願いごとがなくてもかまいません。

祈りを通して、あなたのマインドを神につなげ、あなたの愛と感謝を分かちあい、平和、甘さ、美しさ、あなたを待っている祝福を楽しんでください。

ビジョン心理学創始者 チャック・スペザーノ博士

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