定期券を手放して解放される?!

仕事・キャリア
テレワークがはじまって5か月がたちました。
それまでは、都内のオフィスに週に5日通っていましたが、コロナウイルスの影響により自宅でお仕事をするテレワークになりました。初めのうちはいつ終わるともわからないこのテレワークを惜しむように、お仕事がはじまる前や終わった後に、家で料理をしたり、お菓子を焼いたり、要らないものを捨てて部屋を片付けるなどして、家事と仕事のバランスがとれた「おうちでのお仕事生活」を楽しんでいました。

そのうち、ダイニングテーブルで仕事をすると食事の時にやっぱり不便だからと机を買ったり、ずっと座っていて腰が痛いからとオフィスメーカーの椅子を買ったり、モニターもあったほうがやっぱり画面が見やすいわ、といろいろとインターネットで買いそろえて、あっというまに家で仕事をする環境が整いました。

このままテレワークでもいいかも、と思いはじめた頃、とうとう会社から通勤でつかう定期券を払いもどすように連絡がありました。払い戻しをしたお金は給与から差し引かれるため、急いで駅の窓口で手続きをおこないました。よし、これで大丈夫だとホッとした瞬間、なんとも言えない、なんだか心にぽっかり穴があいたような感覚を味わいました。あ~、定期がなくなっちゃった。そんな喪失感でした。これにはちょっとびっくりしました。

思えば、わたしは高校生からずっと通学・通勤に電車を使っており、人生の半分以上は定期をもって生活していました。払い戻しはもちろんしたことはありますが、次の定期を買うまでのインターバルで、こんな風に完全に定期を手放すことは本当に初めての体験でした。大げさですが、もう定期を手にすることはないかもしれないと思うと、喪失感とさみしさを感じてしまったわけです。

その次に来たのは定期がないと不便だぞという感覚。これまでは会社が交通費をだしてくれていたけど、これからは自分で電車代を負担しないといけない区間がでてくるのだ。あ~ほんと、いままで定期があって本当に便利だったなあ、恵まれていたな~という感覚。

定期があるときは定期区間内の商業施設がある駅に気軽にいっていました。女性のみなさんなら思い当たると思うのですが、美容院なら都内にあるこのお店、お気に入りのパン屋さんはお隣の駅にあって、いつも使っているファンデーションは会社の最寄り駅にあるここで買うという風に、行きつけが決まっていて、必要なときは会社帰りや休日に買いに行っていました。定期がないとなると、わざわざ電車代を払って買いに行かないといけない・・・・。う~ん、ちょっとめんどうくさい。だったらネットで買ったほうがポイントだってつくし、かえって安いかも、となるわけです。

だから、定期がないということはなんて不自由なのだろうって思いました。自分の生活の行動が制限されてしまったような感じでした。でも、ふと、あれ?本当に不自由なのかしら?と思ったのです。もちろん定期の区間内は自由に行き来できるけど、むしろ行動範囲が定期の区間内に制限されていたのかもしれない。定期券の範囲で動くと電車代がかからないというメリットがあるから意識的にその範囲内で行動を済ませようとしている自分がいたかもしれません。同じ環境、同じ景色の中でパターン化された生活を繰り返していたように思います。いまは定期がない分、自宅を中心にどの方角に出かけるのも自由です。それはちょっとした自分の中の枠組みがなくなったことでもあります。

それからもうひとつ自由というか解放されたことのひとつが通勤ラッシュです。もちろんテレワークが始まった時点でこの通勤ラッシュから解放されていたのですが、実は週に5日都内に通う生活は数か月でもとに戻ると思っていたのです。それが定期を手放すことにより、本当に解放されたのだとしみじみと感じました。

都内に通勤されている方はご存じだと思いますが、平日の朝と夜の通勤時のラッシュは本当に大変です。人がぎゅうぎゅうに乗った電車内ではどうしたってどこかがだれかに触れます。あんなにたくさんあるつり革もなかなかつかまることができません。揺れる電車の中で足をふんばって自分の場所を確保します。人と触れるのが嫌だからといって身体を小さくすると、その分隣の人が大きくスペースをとるのが満員電車です。電車を降りてホッとしても人ごみはまだまだ続きます。出遅れると階段を上るにも、改札をでるにも列に並びます。改札を出ても人が多くて自分のペースでは歩けません。だから人の波に乗って歩くしかないのですが、ただ流されているだけだといつの間にか自分が通う会社と反対側の通路に流されていたりして、あわてて人の波に逆らって反対側の通路に向かうのです。
とにかく心と体にとってはストレスいっぱいの毎日でした。

いまでも定期がないことにちょっぴりさみしさを覚えます。やっぱりわたしの中で定期はどこかにでかけやすくなる道具で、自由への入口といったような感覚がまだあるようです。一方で、定期は制限でもあったなあと今回気づくことができました。
そして、それを手放すことはわたしの心と体にとっては解放の象徴でもありました。






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